【堕天鹿オリジナル小説】僕と彼女のレンタル家族 第35話 「明晰夢4」

 誰も、本当の事を本当の気持ちを伝えない、嘘の家族のもとへ。

 玄関の扉を開けて家に入ると、哀れむ表情で僕を見つめる女の人が立っていた。なんだろ、まだ怒られなければいないのだろうか。それとも、お金を貸してもらえるのか気になるのだろうか?

「……。これ以上はお金がないから貸せないって。ごめんねって言ってた」

「……ごめんなさい。叩いてごめんなさい、痛かったよね」

「大丈夫」

 どうやら怒られなかった。怒られるどころか、先ほど僕を叩いたことを悔いているようだ。でも、気にしなくていいんだ。僕はもう諦めたから。

 靴を脱いで2階へ上がる。父親が帰って来る前に、部屋で吐いた汚物を綺麗にしなくてはいけない。階段を上がっていると、ギシッと言う音に過剰に反応してしまう。ギュッと心臓の苦しさと恐怖が溢れ、後ろを振り向くが誰もついてきていない。どうやら階段の軋む音だったらしい。

 父親の部屋を確認すると、僕が吐いた汚物は綺麗に掃除されていた。先ほどの女の人が掃除してくれたのかもしれない。もう一度階段を降りようとしたが、僕はその一歩を踏み出せなかった。

「部屋綺麗にしてくれて、ありがとうございました」

 一階にいる女の人に向けて、僕は頭を下げてお礼を言う。その後は、自分の部屋に戻る。ベットに座り、自分の両手が震えていることに気づいた。じっと両手を眺めて気づく。

 ――なにが怖いのか分からない、この感情が怖いと。

「ッツ!」

 階段を駆け上がってくる足音が聞こえ、僕の体が硬直する。呼吸が乱れ、部屋の扉を凝視する。来るな、誰も入ってくるなと念じる。数秒、数分経っても部屋には誰も入ってこない。ゆっくりと気持ちが落ち着くが、小さな物音がするだけで異常なほどに恐怖が迫ってくる。

 毛布を頭までかぶって、少しでも音が聞こえないように両耳を手で隠す。いま誰も側に居ない。誰も居ないのに、頭の中にあの女の人がいる。あのお金を借りていた男の人がいる。僕は一人なのに、ずっと側に張り付いて逃げられない。

 怖い、怖くて心臓が押しつぶされそうだ。何度も同じ記憶が頭の中を支配する。早く、早く父親が帰ってきて、笑いながら難しい麻雀と言う遊びをしよう。我慢だ、もう少し我慢すれば帰ってきてくれる。

 それから、どれだけ時間が経ったのだろう。僕はいつのまにか眠っていた。ふっと目が覚めたときには、部屋は真っ暗になっていた。ベットの側にある時計を見ると、夜の22時。

「いつのまに寝ちゃってたんだ」

 まだ寝ぼけている感覚があったが、隣の父親の部屋から物音が聞こえていた。すでに帰宅して、部屋で着替えをしているのかも知れない。ちょっと嬉しくなった僕はベットから出ようとしたとき、父親の部屋の扉が開く音がする。

「おいっ」

「え?」

 スーツ姿の父親が、僕の部屋にドンッと勢いよく入ってきた。その表情が恐ろしく、蛇に睨まれるかのようにじっと見つめる。

「お前、俺の財布から金抜き取っただろ!」

 近づいてきた父親は、僕の胸倉を掴むと至近距離まで顔を近づけてきた。何を言っているんだ? 僕がお金を抜いた? いきなり言われたことに理解ができず数秒ほど沈黙してしまう。

「おいっ! 何度も俺の財布から金盗みやがって、返せ!」

「いや……そんなの……しら、ない」

「あぁ? 小さくて聞こえねぇよ」

 低い声と筋肉質の体型である父親が大きく、訳が分からなくなるほど怖くて声がでない。しかし、すぐに気づく。部屋の外からコチラを覗く女の人が、人差し指を口に近づいて「喋るな」と合図をしていた。そのことに僕が気づくと、妹達と一緒に寝ている寝室へと戻っていく。

 本当のことを言えば怒られないだろう。僕は盗んでいないし、ほぼ間違いなくあの女の人が盗んでいると伝えれば良い。だが、本当のことを言ったらどうなる? 父親は女の人を問い詰めて喧嘩になるだろう。その後の雰囲気は最悪な状態へとなり、嫌な雰囲気の空間で過ごすことになる。

 また、早い段階でバラしたことを僕は女の人に怒られるだろう。

 包丁を持ってきたら?

 また殺せと言ってきたら?

 また死ねと言えと言われたらどうする?

 まだ小さな妹達が、両親の喧嘩や死を連想させる喧嘩を目撃したらどうする? 何も知らない妹達が、嘘の家族と知ったら可愛そうじゃないか。僕が隠し、僕がやらなければ、妹達へ矛先が変わってしまうのではないか?

 結局、僕ができる選択肢は一つしかなかった。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

「またやったら家から追い出してやるからな」

 もう嫌だ。怖いよ……どこにも逃げられない。怖くてたまらない……お願いします、何でもしますから助けて下さい。

「返事しろや!」

「ごめんなさい。もうしません。ごめんなさい」

 男の人が僕の部屋から出て行くと、ドンッと大きな音を立てて自分の部屋に戻っていった。

「うぅぁうぅうぅ……うあぁぅ」

 真っ暗な部屋の中で、孤独が押し寄せてくる。

 声が漏れ出さないように、耐えられない重圧に押し潰されて、口元を毛布で隠しながら泣き声を殺す。涙が止まらない。頭の中がぐちゃぐちゃになり、僕の大切な感情がなくなってしまった瞬間だった。

 どうせ疑われるなら、甘んじて受け入れよう。大丈夫、我慢すればいいだけだ。否定したところで、誰も信用してくれないのだから。だったら最初から自分のせいにすれば楽じゃないか。

 僕が悪くても、僕が悪くなくても。それはすべて僕が悪いのだ。

 そうやって生きていけば。

 またいつか、笑って過ごせる家族が欲しいと願ってもいいだろうか?

「うぅぁうぅうぅ……」

 だからどうか。

「誰でも……いいから、助けてよぉ……。ずっとそばにいてよ」

 過去の泣きじゃくる小学生の僕に手を伸ばすが、夢の中では見ていることだけしかできなかった。ゆっくりと過去の映像が薄れていく感覚を感じる。そろそろ夢から覚めるのかもしれない。

 僕は過去の自分へ言葉を投げる。

「ありがとう」

 過去の記憶が蘇ったことで、現実の状況で僕が何をするべきなのか再認識できた気がしていた。そう、いつから忘れていたのだろう。昔も今も変わっていないじゃないか、誰も僕の言葉を信用しないのだから。

 ――相手に自分の思いを伝えることで、苦しむのは僕自身だったじゃないかと。

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